日本の活路は「量子トンネル効果」にあり!? :懸賞金活用型プログラム「NEDO Challenge」が描く未来


量子コンピューターを用いた社会課題解決の支援を目的とした懸賞金活用型プログラム「NEDO Challenge, Quantum Computing “Solve Social Issues!”」。審査委員長を務める藤井啓祐とNEDOの工藤祥裕は、“量子の新たなルール”を日本からつくりだせればとその意気込みを語る。
日本の活路は「量子トンネル効果」にあり :懸賞金活用型プログラム「NEDO Challenge」が描く未来
PHOTOGRAPH: comuramai

量子コンピューティングの技術的転換点となった「量子誤り訂正技術」が世界を驚かせたのもつかの間、量子コンピューターの開発競争は一気に激化し、“クオンタム・エイジ(量子の時代)”の到来はもはや可能性の問題ではなく時間の問題になりつつある。

『WIRED』日本版でもこれまで「Quantumpedia その先の量子コンピューター」と題した特集号を組み、2025年9月のWIRED Futures Conferenceでは「Quantum Day」に国内外の量子コンピューターのトップランナーが集結するなど、この、“クオンタム・エイジ”への世界的な盛り上がりを強力にプッシュしてきた。

こうした潮流のなかでいま『WIRED』が伴走しているのが、新エネルギーや省エネルギー技術などの技術開発を支援する政府機関「NEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)」が2024年に始動させた懸賞金活用型プログラム「NEDO Challenge, Quantum Computing “Solve Social Issues!”」(以下「NEDO Challenge」)だ。量子コンピューターを用いた社会問題ソリューション開発の支援を目的としている。

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量子コンピューターという、研究と実用化が密接に並走する特異な領域で、日本はクオンタム・エイジに向けていかなる勝ち筋を描けるのか。今回のNEDO Challengeの審査委員長を務める量子コンピュータ研究者の藤井啓祐とNEDOの工藤祥裕は、研究者の価値観の破壊と、企業が活用すべき“量子トンネル効果”がその鍵になると語る。

学術的価値と産業的価値が並走する、量子分野の特殊性

──いま、量子コンピューター分野の研究開発はどのような状況にあると捉えていますか?

藤井 研究とユースケースや応用がまだそれほど分離されていない。研究をしながら、実応用も模索していくというかたちで進んでいます。これはほかの分野と比べてもかなり特殊な状況だといえます。

最先端の研究、つまり『Nature』や『Science』に論文が掲載されるレベルの研究と、それをすぐさま実用化していくことが並走している分野というのは、量子コンピューター以外にあまり例がないのではないでしょうか。

藤井啓祐|KEISUKE FUJII(中央)...

藤井啓祐|KEISUKE FUJII(中央)
大阪大学教授/QIQB副センター長、量子コンピュータ研究者。ハードウェアからソフトウェアまで幅広く研究し、量子コンピュータが抱える「計算ミス」という弱点を克服するための技術(量子誤り訂正)の開発のほか、量子コンピュータを使って問題を解くための計算手法(量子アルゴリズム)の開発、それをさまざまな分野に応用するための研究も手掛ける。著書に『驚異の量子コンピュータ』(岩波書店)など、最新刊に『教養としての量子コンピュータ』がある。


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工藤 これまでのNEDOの支援でも、研究開発と実用が分かれているものが多かった。しかし量子の場合は、そこが融合していますよね。

藤井 例えば、米国の「QuEra Computing」は学術的にはトップレベルです。それを国の研究所でも大学でもなく、スタートアップが担っていて、5年以内にいかにビジネス価値のあるアプリケーションを見つけるかも模索しています。アカデミックサイドとビジネスサイドが密接なのが量子の分野ですよね。

世界トップレベルの研究であるからといって、その学術的価値が産業的価値につながるかは別、ということは往々にしてあります。しかし、量子の場合は同じ方向を向いているので、ビジネスへのいちばんの近道として研究投資を行なう、という考え方が強いように思います。

量子は限界がまだ見えないので、このまま進めば何かがあることがわかる一方、そこにどんな応用の仕方があるかはまだ誰も具体的にはわからない。だからこそ、研究を突き詰めることによってモメンタムをキープして、その先にある何かを誰よりも先に見つけようとしている。そんな状況だと思います。

量子における、NEDO Challengeの意義

──量子コンピューターの産業利用とエコシステムの形成という点において、日本の現状をどう見ていますか?

工藤 例えば、理研や産総研など、量子コンピューターを使える環境を整備しようとする動きが、他国に比べて多いことはチャンスだと考えています。

実用化の動きの傾向としては、それぞれが抱える直近の業務課題を起点にしたユースケースの模索が多いことですね。例えば、日本の産業は業務プロセスが非常に複雑ですから、効率化をしたい。こうした、短期的に成果を見込めそうな取り組みが、われわれが支援する企業にも多いと感じます。昨年NEDOで整理したユースケース事例集でもそうした傾向が見られました。こうした動きは、海外の機関からも驚きとともに評価されている点でもあります。

一方で、FTQC(誤り耐性量子計算)のような、中長期的な発展を見据えたユースケースの探索を強化していく必要もあります。

古典コンピューターではできない問題解決が可能になったときに新しい市場が開けるとすると、量子の計算能力を前提にした、まだ見ぬユースケースにアタリをつけていく経験はいまから積んでおくべきです。

工藤祥裕| YOSHIHIRO KUDO(右) NEDO AI・ロボット部 量子ユニット...

工藤祥裕| YOSHIHIRO KUDO(右)
NEDO AI・ロボット部 量子ユニット ユニット長。2004年NEDO入構。化合物半導体等のデバイス開発やその国際標準化活動、公共インフラや製造業等の産業横断データ連携プラットフォーム構築、AI等のデジタル技術の社会実装推進事業等のプロジェクトマネージャとして従事。NEDOニューデリー事務所では日本の再エネ/省エネ技術の普及を目的とした日印共同の技術実証事業を推進。22年より現職。量子コンピューターの産業利用やエコシステム形成の促進を目的とした事業推進等を担当。


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──長期的な視点へとストレッチする機会として、「NEDO Challenge, Quantum Computing “Solve Social Issues!”」の意義があるわけですね。

工藤 企業への公的な支援は、やはり短期的かつ現実的に成果があげられるものに偏ってしまいがちです。そうした意味で、NEDO Challengeによって短期的視点と長期的視点の両方をサポートできる体制を整えたことは大きいと考えています。

──進捗状況はいかがでしょうか?

工藤 先進的な企業であったとしても、量子で何をしたらいいのかよくわからない、ということがほとんどです。課題化をしていくことは非常に難しいですし、専門家でない外部のアイデアを、量子分野の専門家の前に並べたときにどのくらいアイデアとして残るかは懸念がありました。10個残ればいいほうだろう、と。

しかし、110件を超える課題が集まり、現在約50のアイデアに磨き上げられ、集約されて審査対象として残っています。来夏までにさらなるスクリーニングは行なっていくのですが、これだけの課題をつくれた点は十分に評価できることだと思います。

われわれはハードウェアの開発も行なっていますが、こうしたアイデアを支えるための環境整備もしっかりやっていきたいですね。

量子は、研究者だけのものではなくなっている

──藤井さんは、このNEDO Challengeにどのような期待をもっていますか。

藤井 ぼくたちの世代は、世の中の役に立つことよりも、量子コンピューターの実現そのものが目標でしたから、それが現実に向かうだけで楽しいという価値観があります。ただ、量子コンピューターの実用化を迎えるためには、そういう価値観だけでは不十分です。アカデミア側の研究者の価値観が破壊されること。このプログラムに委員として参加していて面白いのは、こうした点です。

研究の世界では、論文の引用数など、研究の評価軸がある種、固定化されています。そのなかで研究の良し悪しや影響力を判断することは比較的簡単なんですよ。もちろんその土俵でも戦わなければならないのですが、量子コンピューターのゲームはそれだけでは動いていない。研究者だけのモノではなくなってきているわけです。

量子コンピューターが実現したときの使われ方には、答えがあるはず。それは、研究者の価値観だけで頭をひねっても見つからないし、社会に普及してもいかない。だからこそ、アカデミア側の価値観の破壊が必要なんですね。NEDOプロジェクトの審査は非常に紛糾するわけですが、名だたる研究者の方々がそうしたアイデアに触れることは、ぼくはとてもよいことだと思っています。

──審査の過程で興味深かった課題はありましたか?

藤井 個人的にはエンターテインメントや観光産業からの発想は面白かったですね。量子の研究領域の人々が、普段まったく気にしない問題設定の視点が含まれているんですよ。研究者には学術的な伸びしろや方向性を判断する定石がある程度あるわけですが、エンターテインメントのことは専門じゃないので誰もわからない(笑)。

工藤 だからこそ、自由に問題設定できる面白さはありますよね。

藤井 量子研究を含めた現在のテック領域が、ビッグテックに追従するのが非常に難しくなっていますよね。それと同じように、例えば絵画は西洋を中心とした世界の評価軸があり、そこで戦うにあたっては非常に大きな壁があります。しかし、日本は漫画やアニメといった分野で世界のトップを走り、その領域での新しいゲームをつくった。つまり、評価軸そのものを新たにつくっていく必要があるわけです。

世界の2周も3周も先をいく面白い量子コンピューターの使い方、社会への溶け込み方を見つけ、日本から市場を切り開いていける可能性は十分にあります。現段階で「答え」を見つけた方々を選んでいるわけではないので、どんどんアイデアをぶつけてもらって可能性を追求していきたいですね。

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「量子トンネル効果」を活用せよ!

──企業の方々は、どういうマインドセットでこのNEDO Challengeを捉えるべきでしょうか?

工藤 研究開発に携わっている方には、思考を拡げ、新しいつながりをつくる機会として捉えてほしい。同時に、ビジネスサイドの方々には、量子にこんな使い方があるのだということを、改めて認識してもらいたいですね。

藤井 ある企業で量子の部門を立ち上げた方が、学会で質問されたときのエピソードが象徴的です。「なぜ量子を使ってこのプロジェクトの稟議を通そうと思ったのか」と訊かれ、その方は「既存の技術でやろうとしたら稟議が通らなかったが、量子は誰もよくわかっていないので通った」と答えたんです。それを本人は「量子トンネル効果」と呼んでいました(笑)。

いちばん大事なのは、実はここなんですよ。量子は可能性も限界もまだわからないので、「量子を使ってこういうことをやってみよう」という提案が通りやすい。すぐに検証できる技術でやってしまうと、「本当にすぐ実現するのか」「どれだけ利益が生まれるのか」といった評価軸で、最初から可能性が潰されてしまいます。

──限界がわからないからこそ、根本的な問題解決のアプローチを可能にするかもしれない、ということですね。

藤井 量子はまだ未熟で、いますぐに使えてお金になるわけでもない。だからこそ、課題への根本的な見方にシフトしやすいんです。そもそも量子コンピューター自体が、コンピューターをゼロからつくり直すという挑戦です。素晴らしい古典コンピューターがこれだけ世界中に普及しているのに、なぜ多くの人々が量子コンピューターにこんなにも情熱を注ぐのか。それは、コンピューターをゼロからつくり直せるからです。ゼロから考えられるのは応用も同じで、問題解決のアプローチの定石をリセットできる。量子コンピューターを使うということは、そうした可能性を秘めているんです。

工藤 2030年以降に量子コンピューターが本格化すると見られていますが、そのときになって腰を上げても遅い。量子をうまく使う問題設計や、チームを組む経験は、いまから積んでおくべきです。今回の成果によって明確な答えが出るという確約はありませんが、そうした種をつくっていくことが重要です。量子コンピュータの秘めた可能性を具体化していくサポートがわたしたちの仕事です。

本誌編集長の松島倫明も今回のNEDO Challengeの審査委員を務めている。

本誌編集長の松島倫明も今回のNEDO Challengeの審査委員を務めている。

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